第14回子どもの育ち哲学カフェ 開催報告

2021年9月25日(土)13時-16時45分
会場:尼崎市立すこやかプラザ

とても気持ちの良い秋晴れでした。

会場のすこやかプラザの西側の窓から尼崎の街の向こうに六甲山麓がグレーのグラデーションを見せていつもよりくっきりと眺められました。
参加者の方が来られるまでのしばらくの時間、窓辺にもたれて見ているのは、いつもぐれいぷハウスの室内ばかり見ている目に新鮮な景色でした。

今日はどんなテーマになるのか。
私が仲間と立ち上げた「ぐれいぷハウス」では「自立支援型シェアハウス」を始めることにしました。子どもが育つ場所としての家とは何でしょう。

テーマ:家
テーマについて思いつくことを話します。家とは守っているもの、家族を守っています。しかしその家を守る人は実は少ない。親が亡くなり住み手のなくなった家をどうするかと頭を悩ませる人は多いようです。

高度経済成長期を経て来た人にとって、家を建てることは人生の一つの大きな目標になっていました。戦後の困難な時期を経験しそこから這い上がるように生活を立て直してきたのです。その究極の到達点が家を建てることでした。

しかし、そもそも家とはその家のある地域との関係性の中で佇んでいるものです。とすると、地域が目に入らず家を建てることだけを見続けてきた人の中には、「子育ての場としての地域」を意識できずに、知らぬ間に子育ての場を欠くことになったかもしれません。

逆に、地域に目が届いている人々が住んでいるところに家を持った人の子育て環境は、十全だったでしょう。共働きで家に帰っても子どもしかいない、そのような時近所の誰彼となく世話を焼いてくれました。子どもは寂しい想いやつまらない想いをせず、楽しく元気いっぱいの子ども時代を過ごせた人も、また多かったことでしょう。

問い1:子どもにとって地元とは何か?

ジモピーと言う言い方があります。地元ピープルと言うことだそうです。今でも昔の国名を使って場所を言うことがあります。川向うなど橋がかかっていても自然に違う街である、と認識して生活範囲には入ってこないことは今でもあります。今も昔も人間の地理的な感覚は変わらないのかもしれません。

SNSで遠方の、しかも顔もわからないような人とやり取りし、友達だと感じることもあるようです。地元では、子ども同士のつながりと同時に親同士や世代を超えてのつながり、学校の先生などとのつながり、とつながりの広がりがあります。SNSにはそれがありません。

地元とは、育ててもらった場所のような気がします。嫌なこともあるけど、そんなときは一旦地元を離れます。しばらくたつと嫌なことが薄らいでいくようです。
隣近所の関係性の良い土地が親にとっても子どもにとってもよい場所でしょう。親の役目はそのような場所を選ぶことではないでしょうか。

隣近所の関係性の良さは、その地域の経済的発展を基礎づけています。駅からも遠くさほど便利とも思えない場所でも、なぜか商店街があり新しいチェーン店も集まってくる場所があります。その場所は何もないけど、昔から隣近所の関係性の良さがあるのでしょう。

親が子育てしやすい場所として選んだ場所で、その子どもがまた子育てしやすいからとその場所で暮らすことを選ぶ。その連鎖がその土地の価値を高めていきます。
すると、隣近所との付き合いがあるところは、経済的に便利になり子育てにも良い場所と言う最高の地元になっていきます。

問い2:家の歴史が子育てに与える影響とは?

家の歴史、古い家のたたずまいはそこにいるだけで落ち着き、安心感を醸し出します。100年200年の時間はどう子育てに影響するのでしょう。

「東海オンエア」と言う名前のYouTuberがいます。愛知県岡崎市在住の男性のグループで地元愛が凄い。岡崎から出たことがなく視聴者の増加に伴い岡崎市のローカルインバウンドへの貢献度は大変なことになっています。「東海オンエア」グッズが発売され、観覧車のかごにはメンバーの顔写真が掲げられています。かれらの安定感はどこから来るのか?

代々続く家は少ないですね。もともと続くものではないもの=家が努力やら偶然やらで続いていきます。家業を持っていることは継続していくうえでとても大きいのだろうと思います。

子どもたちはお母さんがしてくれなったことや自分の希望がかなわなかったことを覚えています。いつまでたってもそれを訴えてくる。悲しい、悔しい想いはずーっと残るようです。

その思いが解消されないまま大人になり自分の子どもに同じような思いをさせることになります。でも、もしその悲しい出来事や悔しさを回避する手段を考え続けると、大人になってその連鎖を断つことができる。
親は自分の辛い経験を子どもにさせないようにと思います。そしてその時代時代で一番良いと思われる選択をする。むろん、子どもにとってはその選択は所与のものであり悪くはありません。しかし子どもはもっと他のことが気になり、不満に感じます。

その子どもが不満に思っていることをまた考え続けます。すると、子どもがおとなになる過程のどこかでまた、一番良いと思われる選択をする。孫にとっては祖父母の配慮と両親の配慮を受けて育つことになります。
子育てへの思いは、自分のしんどさが子どもへ伝わらないようにと言う配慮の連鎖です。

遺伝やDNAと言ったものは自分ではどうしようもないものだと思います。しかし、実際には日々の些細な行動や発言が長い時間をかけて効果を発揮しています。ほんの少しポジティブ/ネガティブな発言を重ねることで本来持ち合わせていない性質であっても実現します。

子ども時代に経験した嫌なこと、寂しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、これらは時間をかけて醗酵して子どもたちのエネルギーになっていきます。
このエネルギーは次の世代へ負の遺産を引き継がない努力に使われます。こうして負の遺産を清算することで連鎖は断たれた。つまり、次世代へ引き継がない努力は嫌な経験をした子ども時代から既に始まっています。

しかし、これらのしんどいことに向き合うことを避け、感情を封印し無関心を装ってしまうとエネルギーは得られません。負の遺産は反転せずそれを繰り返して継承されます。


家と言うテーマで面白い問いがたちました。
次世代へ負の遺産を引き継がない、その思いは子どもの時代に醸成されていくようです。されて嫌なことを他の人にしない、それを実行するためのエネルギーを得る。気持ちを抑え込むのではなく、向き合う。子どもが懸命に向き合おうとしているその場に立ち会う。

辛さからエネルギーを生み出すまでの過程を啐啄しながら寄り添っていくことは、育てることの要諦かもしれません。

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