第15回子どもの育ち哲学カフェ 2021年10月10日

 テーマ「評価する/される」

自分の理想の子育てと言うのがあったりします。それに照らして上手くいったら良かったと思い、上手くいかなかったら駄目だと思います。もう一人の自分が監視していて自分を評価しているような感じです。それによって自分を好きになれたり自分の長所だと思えたりすることがあります。子育ての原動力のように感じます。

その一方で、上手くいかずに子どもを怒ってしまい落ち込んでしまいます。そこで「もうええやんか」と言ってくれるさらにもう一人の自分もいて欲しいのですが、あんまり出て来てくれません。

このお話を受けて、問いを立ててみました。

◆問い1「評価することは良いことか?」

そもそも評価する/されることは必要なのでしょうか?

評価されるのは嫌な感じがします。他人がどう見ているのかを知ることは大事です。時には自分から求めて、他の人にどう思われているのか聞いてみることも大事です。しかし、それが評価、である必要はないでしょう。他に方法はあるのではないでしょうか。

最も身近なパートナーから評価されるのは、どうでしょうか? しばしばケンカのネタになったりもしますが、ここでプラスの評価だけを取り上げるのは良いかもしれません。

夫婦でケンカになったら、相手のいいところを20個挙げてプラスの評価をします。マイナスの評価は気にしないことで収まることもあるようです。

周りの評価を気にすることはあります。また、感情的に怒るというのは、手っ取り早く相手に伝える事ができるので、悪いことではないのではないでしょうか。この場合怒っているという認識があればある程度ブレーキが掛けられるので問題の拡大は防げるかもしれません。

評価と言うと学校のテストの点数のような一律的な評価を思い浮かべます。学校では良いのでしょうが、家ではこのような一律的な評価はしなくても良いのではないでしょうか。

仕事での評価は自分だけですみます。低い評価であっても愚痴ればよい。しかし子育ての場面では子どもの人格の形成に影響すると思うと責任があると思い、評価を余計に気にしていると思います。自分の期待や理想があってそこに近づくように日々していることを評価している。

評価はそれをした後が大事でしょう。評価(良かった、悪かった)で終わらず次にどうしようかと考えることがあれば、評価の目的にかなっていると思います。

褒める時には行為を対象にして人を対象にはしないことだと本で読んだことがあります。評価も人を対象にしたものではないのでしょう。しかしそのようになってしまうことはよくあることのようです。

評価をするのは大人だけではなく子ども同士でも行っています。評価されることが当たり前になっているのかもしれません。

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第一部で出た評価が性格を形成するかもしれないことや、評価している人をさらに評価するとはどういうことか、など新たな問いがでてきました。これらのなかから2番目の問いを決めました。

◆問い2「評価をどこまで採用するか?」

評価は対象となるのが人なのか、範囲があるのか、何かに関してなのかと誰が評価するのか、どこまで評価するのか、ということの関連はどうなっているのでしょう。

評価を受けて、それを絶対だと思うのはどうしてでしょう。評価を選択することがあっても良いと思います。評価を気にしないことを選んでも誰にも迷惑が掛からなければ良いでしょう。

周りの評価を気にする/しないで言うと「母親に怒られたようには怒られたくない」と言う気持ちが強くあります。評価を気にするより評価される=怒られる、と自分の中で出来上がっているようです。

評価をする時、対象に自分の受けた評価を入れ込む(採用する)ことがあるようです。それは無自覚なバイアスとなっています。従って評価をする時は複数の人で行い、個々のバイアスをなくした「アセスメント」にするとよいと思います。

私とAさんとの関係はAさんとBさんやCさんとの関係とは異なるので、私のバイアスが入っていることは、それでよいと思います。

褒めて育てると言いますが、褒められずに育っても褒めて育てることはできます。逆に怒られずに育ったからと言って、怒らずに育てられるとは限らないようです。これらのことは家庭環境以外に、家庭以外での環境の影響が大事であるということだと思います。加えて自分の学びもあるでしょう。それには自分の成育環境を言語化することの役割が大きいと思います。

気持ち、とはオートマティック(全自動)で働くものです。落ち込んだりするものそのためですが、自分は尊重されているか、自分はこうありたい、ことを言語化して、それを基準に評価を受け入れるかどうか考えることで評価も役に立つのかもしれません。

評価する側の人が権威者であることは評価に影響するでしょう。その意味で評価は関係性の中で生まれるものです。多様な評価があっても良いのですが、学校の教室での評価が一面的なのは教育の機能とセットになっていることでしょう。

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一部二部ともご参加いただいた皆さま、長丁場をお疲れ様でした。

評価することをポジティブにとらえ続けることは大事だと感じました。成育環境によっては評価=ダメ出しとして押し付けられている場合もあるのではないでしょうか。評価の後に続くことがあってそれを大事にできることがポジティブでいられるポイントなのかもしれません。

次回は11月3日(水祝)です。テーマは「甘え」です。

一部二部のいずれかのみご参加いただいても構いません。ご参加お待ちしております。

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